学会賞 歴代受賞者のコメント

2022年度 第32回 学会賞

信田 さよ子 氏
学会賞受賞にあたって

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このたび、このような栄誉ある賞をいただくことになりました。本学会設立当初より会員であった歳月を思うと、まるで夢のような気持ちがします。

約50年にわたる私の心理臨床実践を少しふりかえってみます。70年代よりずっとアルコール依存症に始まるアディクション問題にかかわり、苦しんでいる家族への介入・支援にかかわってきました。80年代の終わりからは、家族の暴力(DVや虐待など)の被害者支援、そして2000年代から加害者臨床へと対象を拡大してきました。そして、90年代半ばから私設心理相談(開業)機関を運営し、そこを臨床の場として数えきれないほどのクライエントとお会いしてきました。それしかやってこなかったと言っても過言ではありません。

このように大学や研究機関の外側で、内的世界よりも現実世界における行為を対象とした実践を続けてきたこと、10人を超える女性スタッフ(公認心理師・臨床心理士)とともにひたすらクライエントとお会いしてきたことが、このような受賞につながったことは何よりうれしいことです。

先行するモデルの少ない心理臨床実践ではありましたが、社会において要請されていることを先取りして取り組んできたという自負があります。このような拙い経験が評価されたことが、私よりずっと若い世代の心理臨床学徒のみなさまにとっての希望になることを望みます。

最後になりますが、このような賞を与えていただき、心より感謝いたします。

2019年度 第29回 学会賞

岡 昌之 氏
臨床の知と臨床現場が大事です

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臨床の知と臨床現場が大事です。かつて私は、心理臨床の実践に全力を投入し、臨床現場として学生相談と出会い、不退転の覚悟で奮闘努力しました。学生相談が、その名に恥じないように頑張ろう、という気持ちです。その際には、ロジャーズの有名な講演「自らを語る」が座右の文献でした。英語を直訳すれば「これが私だ!」です。まさに実感と体感の言葉です。文中に「ビー・ア・ライフル!」という言葉が出て来ます。全米ライフル協会は関係ありません。おそらく「言うべきことは言おう!」という意味でしょうか。アメリカ的に過激です。思えば、はるか昔のテレビドラマに「これが青春だ!」というのがありました。懐かしい思い出です。心理臨床学は、実験室の心理学とは異なる「フィールドワーク」です。いわば、河合隼雄先生の「たましい」のフィールドワークです。場所「トポス」が重要になります。もちろんアカデミズムの心理学も有益です。排除する必要はありません。ともあれ、今回私の奮闘努力が多くの皆様に認められたのだとしたら、喜びこれに過ぎることはありません。

現時点で、私はまだ引退していません。東京は九段の「日精研カウンセリング・ルーム」と日本橋浜町の「このはな児童学研究所」の「日本橋心理相談室」でセラピスト&スーパーヴァイザーとして心理臨床の実践を積極的にやっています。フロイト、ユング、ロジャーズの臨床知を生かし、産業カウンセリングや児童臨床にも関わっています。体感で言えば、私の心理臨床はようやく佳境に入っています。晩年のロジャーズの心境も、分かる気がします。現在私は基本である「クライエント・センタード」の心理臨床家として、とても充実した活動を続けています。「日精研」の内田桃人社長と、「このはな」の安島智子理事長に感謝申し上げます。これから「パーソン・センタード」の本質を見極めたいと思います。ご本人はそう名乗りませんが、田嶌誠一先生のそれは本物だと思います。ともあれ、皆様に感謝です。ロジャーズは不滅です。

以上に加えて、私の最近の社会活動的実践をお知らせします。以下は、先日の受賞講演の補足とも言えます。心理臨床家としての生の実践感覚です。私は現在、「児童館」と並ぶ「児童厚生施設」としての「児童遊園」(児童福祉法第40条)に関心をもっています。けれど、全国に計4000ヶ所以上あるという「児童遊園」の実態を、知っている人は少ないようです。可能性のある「臨床現場」になるよう、相当なお金をかけて作られた「子どもの居場所」が、少数の例外を除き悲しくも荒廃しています。違反喫煙者が跳梁跋扈しています。煙と吸い殻と灰(タール)で汚れています。「禁煙」の表示があるにもかかわらず、「子どもなんかいないだろ。タバコぐらい吸わせろよ」と言う社会人が侵襲しているのです。本来は「子どもの居場所」だけではなく「お母さんと子どもの居場所」とも言える「トポス」であるはずなのですが、実際には吸い殻が散らばり、美しい花壇も醜く汚され、環境が酷く破壊されているという事態は、悲惨な現実です。受動喫煙防止事業とその困難な現状に関して、新聞は具体的に報道しません。勉強もしていません。「禁煙ファシズム」などという珍妙な言説を操る人は、このような現状を知らないのでしょう。心理臨床家にとって、試練の場です。

心理臨床家として勇気をもって状況に肉薄していくと、恐ろしい現実に逢着します。現場で違反喫煙者に「禁煙ですよ」と注意喚起するのも危険です。区役所の委託業務のパトロールさんは、なぜか「禁煙監視員」や「喫煙監視員」ではなく「喫煙指導員」なのです。「指導」と言っても、タバコの吸い方を「手取り足取り」教えるわけではありません。違反に対して「それは違反です!」と言ってはいけないらしいのです。「愛煙家」に対して「監視」とはけしからん、というお上からの「指導」があるのかもしれません。いわば「場所を選んで下さい」という感じで、丁寧に「お声かけ」をするように指示されているようです。おかしな話です。違反駐車に関しては明快に「駐車監視員」(違反駐車監視、という意味)が配置されているのですから。ついでに言うと、「場所を選んで下さい」という態度に出ると、「じゃあ、どこで吸えばいいんだ」と逆ねじを食らわされることもあるようです。居直られてしまいます。子どもたちの居場所を守る「不退転」の決意がないのです。いかにも頼りない感じです。やはり河合隼雄先生の「受容と対決」を思い出します。もちろん区役所担当課の皆さんの苦闘は、それなりの効果を上げてはいるようです。私は実践家として、日夜それを応援したいのです。

「タバコ批判」になると、皆さん弱気です。「児童遊園」がその名に恥じない安全・安心な場所であるのか否か、現状はいかがなものか、と問いかけしても、多くの区役所は弱気、警察も曖昧な反応をするのです。ある区役所は善戦していますが、ある区役所は苦戦しています。ご苦労様です。子どもたちの「安全と安心」は言葉だけなのでしょうか。容易ならざる事態です。悲しくも、非常に不明朗な感じです。「オレたちは高いたばこ税を払っているんだぞ」という違反喫煙者の言葉は醜悪にも重いのです。負けそうです。極言すれば、背後に社会悪、政治悪、国家悪が潜んでいる感じです。体感です。「悪」とは否定的なパワーです。児童遊園の恒常的な環境破壊は一種の社会悪です。タバコ利権の政治家による黙殺は政治悪と言えましょう。大新聞も味方してくれません。政治家も新聞記者も「愛煙家」が多いのです。公正な報道を期待できません。「愛煙文化人」の視野に「児童遊園」は入っていません。もっとも心理臨床家の視野にも入っていないようです。残念なことです。

「国家悪」とは、戦前の軍国主義の摩訶不思議な「恩賜のタバコ」に象徴されています。それ故か、現在の皇族方はタバコがお嫌いのようです。健全な感じがします。もちろん、愛煙家の方々は「禁煙可」のお店や、ご自身の居間や書斎で思い切りタバコを吸うことが出来ます。ご安心下さい。明治・大正・昭和の文豪のように自由です。日本は現在、ファシズム国家ではありません。ポピュリズム国家ではありますが。

心理臨床家は、政治が苦手です。しかし、子ども達の「たましい」の居場所を守るためには、困難で複雑な歴史的事態の直視を避けてはいけません。タバコ批判に関わると政治抗争に巻き込まれる、とかの防衛的不安を克服する必要があります。今後、私は余生を生かして、この重い問題に関わりたいと思っています。改正健康増進法に基づく受動喫煙防止事業の推進を阻害する強大な抵抗勢力に対決を挑みます。まさにドン・キホーテでしょう。その問題意識で「児童遊園探訪」のフィールドワークを続けたいと思います。畠瀬直子先生の「子どもの輝く瞳」が、しっかりと守られている児童遊園は、少しながら存在します。地域の皆さんに守られた素晴らしいトポスです。東京は港区白金の「白金児童遊園」や、新宿区神楽坂の「なんど児童遊園」「あかぎ児童遊園」「あさひ児童遊園」等々です。ほかにもいろいろあるでしょう。これらの素晴らしい遊園を訪れると、訪問者が癒されます。まさに「書を捨てよ、街に出よう」という感じです。もちろん「書を持って、街に出よう」でも結構です。フィールドワークが大事です。やはりロジャーズなのです。

フロイト理論は分析空間以外の居場所にはあまり関心を持たないようです。けれど、日本的感受性としての「あのとき同じ花を見て、美しいと言った二人の、こころとこころ」(きたやまおさむ作詞)という日本語は、児童遊園のこころを見事に言い表しています。心理臨床の可能性を垣間見せてくれる感受性であると言うことができましょう。この可能性に、私は注目したいのです。


北山 修 氏
学会賞を受賞して

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この度は本当にありがとうございました。私のやってきたことに少しでも臨床的な意義を感じていただいたこと、またそれにオリジナリティのあることを認められてとても嬉しいです。臨床においては、私の考えのオリジンは、いつも出会いの中で生まれます。よって第一に、これを可能にしてくれたクライエントや患者さんに心から感謝したいと思います。

また、退行と進行の稀有な併存を何度も共に楽しんだ各先生、そして同僚、学生たちに感謝します。「ありがたい」という思いにおける、あるのが難しいという意味の深さを何度も噛み締めております。

これからもよろしくお願いします。


野島 一彦 氏
学会賞を受賞して

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このたび①学会への貢献と②エンカウンター・グループを始めとする学術的功績を理由に,学会賞をいただきまして、どうもありがとうございます。

私は1970年(修士課程1年生)から、一方で村山正治先生との出会いをきっかけにエンカウンター・グループの実践と研究に取り組み始め、他方で九州大学での日本臨床心理学会の総会における資格推進派と資格反対派の激突の場に居合わせたことをきっかけに心理職の国家資格化に取り組み始めました。この2つはその後、約50年にわたる私の二大ライフワークとなりました。今回の授賞は私のライフワークに対するものであり、とても嬉しく思います。

学会賞受賞者講演では、「公認心理師をめぐる諸課題」というタイトルで話をさせていただきました。2017年9月の法制化によって心理職の国家資格化の<実現化>は果たされました。言わば設計図はできたのです。しかし、大事なのはこの設計図にしたがって本当に国民のためになる製品をつくっていくこと(国家資格化の<現実化>)だと私は考えています。

2018年度には正規ルートの公認心理師養成がスタートしましたし、経過措置による第1回の国家試験も実施され、公認心理師が誕生しました。よい製品をつくるには、正規ルートでは当面は充実した養成システムをつくること、経過措置による有資格者には充実した研修システムをつくることが大切です。そのためには本学会は貢献できる力がありますし、義務もあると思います。
また公認心理師が社会的に有意義な活動を展開していくためには、職能団体がしっかりしていることが必要です。本学会がサポートしている一般社団法人日本公認心理師協会に期待したいところです。職能団体の大事な役割として、職域拡大があります。公認心理師が増加するにつれて、その人達が働ける場の開拓が求められます。さらに公認心理師が社会的に認知され評価され影響力を持つために、政治連盟をつくっていくことも職能団体の役割だと思います。早く公認心理師の国会議員が誕生してほしいと願います。

今回のありがたい授賞をバネにして、私は<現実化>に全力で取り組んでいきたいと決意を新たにしています。

平成30年度 第28回 学会賞

倉戸 ヨシヤ 氏
学会賞をいただいて

h30-1 この度は、第28回学会賞をいただくことができ身に余る光栄に思います。
まずは、推薦してくださった先生方と選んでくださった選考委員会の先生方にお礼を申し上げます。そして私をここまで導いてくださった多くの方々の公私にわたるサポート、とりわけ国内外における師や師と仰ぐ先生方、先輩、仲間からのご指導とご鞭撻、それにご芳情をいただけたことは幸いでありました。ここに心底よりお礼を申し上げます。
私が受けた心理臨床の教育のなかで教えられ、また研究や実践のなかで心がけてきたことは、人間も地球のすべての構成員と繋がっているというゲシュタルト流エコロジーの視点です。心理相談においてはクライエントと、あくまで同時代に生きる人間同士として“今—ここ”という現象学的場で出会い尊重し合うことです。そしてクライエントの内面にある“未完結の経験”や“袋小路(インパス)”状態、また関係性に気づきをもち、“触媒”の役割に徹することを大切にしてきました。受賞を契機に、ややともすると混沌とした感のある時代、そして地球環境が破壊の危機にあるなかで、心理臨床を志す者として何ができるかを模索しながら、これからも継続して研究・実践に励んでいきたいと、想いを新たにしています。

平成25年度 第23回 学会賞

星野 命 氏
学会賞受賞の栄誉を受けて

h25-1本年8月25日~28日に「パシフィコ横浜」を会場に開催されました日本心理臨床学会の大会第2日の午後に平成25年度の学会賞の贈呈式と受賞講演が行われました。そしてはからずも、この私が学会の理事長の鶴光代先生から特別に造られた楯と副賞としての金一封をお手渡し頂きました。誠に晴れがましく、また幸せな瞬間として、私の一生における最高にして恐らく最後の栄誉でありました。
この学会賞は、「学会創設30周年記念誌」によりますと、1982年の創設後から毎年度正会員のうちから1名または2名の、学会の創設とその後の運営に功績のあった方々に贈られてきたもので、20年間に既に20名以上の受賞者のお名前が同誌に記録されています。
私の場合、頂戴した楯に「表彰の理由」として、下記の文章が刻まれていました。
「個人から対人関係、異文化間の心理学へと幅広く研究を展開され、国際的な視点から我が国の臨床心理学の発展に貢献した。また本学会の創設に関わり、その後も役員を歴任され、学会の発展に重要な貢献をなした功績」
まったく身に余る文言で、これを理由に私を推薦して下さった会員の方々とその後の理事会での決定にたずさわった方々に、心から深い感謝を捧げます。
さて、表彰後に私に課せられた受賞講演の内容を逐一記すには余白がなく残念です。ただ東京大学文学部心理学科の同窓生で、心理臨床分野で生前活躍された先輩・同輩の遺影や、私の心理臨床の故郷:名古屋大学精神医学教室の村松常雄先生の偉業と、先生によって登用された臨床の先輩、村上英治教授や、丸井文男教授の遺影と、米国から来名され心理検査法を指導して下さったDr.G.A.Devosのこと、さらに、私が33年間勤務し「臨床心理学入門」などを担当したICUでの教え子たち(現在心理臨床の現場に51名)の一部写真、1991年に金沢市に移ってからの地元の臨床心理士や『金沢こころの電話』の相談員との交流の写真。
そして、最後に「心理臨床の明るい未来に向けて」、「臨より臨に同感」と述べ「心理臨床の実践には定年はなく、『一生現役』」との言葉で結びました。

平成24年度 第22回 学会賞

水島 恵一 氏
イメージ、芸術表現

イメージ面接、図式的投影法を含め、絵図療法、箱庭、音楽、身体運動、劇などを用いた治療法を、いま「イメージ、芸術療法」と一括すると、そのすべてにおいて、概念的には表現も伝達も困難なニュアンス、味わいetcを可能にするという点では一致する。一方、絵画、箱庭療法、イメージ面接、図式的投影法などでは、文字通り「イメージ」が主として視覚イメージが中核となるのに対して、音楽、身体運動、劇療法などでは心身リズムによる「体得」「コミュニケーション」が中心になる。
また筆者は「簡素化された方法」をよく用いている。例えば「箱庭人形劇」では1例として1メートル四方の領域を設け、それに「木1本、草1枚(箱庭療法用具の木の葉を草に見立てたもの)及び 各種 動物」のモデルを用いて作品を作る方法である。
多くの神経症的なクライエントは、はじめ「場面」のごく一角を使用し、自分にあたる動物、人形の動きも少ないが、心理療法の発展とともに、場面も広がり、コマ(動物、次述の人形)の動きも活発になってゆく。
また例えば筆者らが考案した「簡素化された箱庭」(通常、木、草、石、こけし様人形のみを使用)は日本の俳画的特徴を生かし、言語面接、イメージ面接などと併用しうるものであるが、単純化された投影場面の中に深い心性がもちこまれ、かつ発展するところに特徴があり、素材の制限、表現の簡潔性の中で、余白、余韻にイメージを感じとれるという利点がある。

平成23年度 第21回 学会賞

滝口 俊子 氏
学会賞をいただいて

h23-1 学会賞を、ありがとうございました。推薦してくださった方、審査してくださった方、祝ってくださった方、多くの方々に心から感謝申し上げます。
この賞をいただけましたのは、臨床家としてヨチヨチ歩きの時から育ててくださった小此木啓吾先生、臨床心理士としての働きを支え続けてくださった河合隼雄先生のお導きによります。今も、天国から見守り続けてくださっているように感じております。
写真は、学会での受賞の夜、思いがけずに、神田橋條治先生にお励ましいただいた感激のツーショットです。ありがとうございました。
早坂泰次郎先生の主宰されるIPRグループにおいて、心理臨床家ではない方々に鍛えていただいた時期もありました。さまざまな刺激を与えてくださった諸先輩、切磋琢磨し合った仲間たち、出会ったクライエントに感謝の気持ちでいっぱいです。学会事務局の方々にも、お世話になりました。夫を初め家族の、長年の協力にも感謝。
村瀬孝雄理事長、河合隼雄理事長、鑪幹八郎理事長の期に常任理事として学会運営に携わり、編集委員会には、大塚義孝委員長、空井健三委員長、山中康裕委員長、岡昌之委員長、藤原勝紀委員長のもとに委員を務めました。
教育・研修委員長、広報委員長、事務局長としても、ひとことでは言い尽くせないほど多様な体験をさせていただきました。
会員の皆様には是非、学会運営を体験されることを、お勧めいたします。
男性も女性も、老いも若きも、それぞれの資質を発揮して、真に世に役立つ心理臨床の発展に取り組みたいと思います。
心理臨床学の実践と研究と教育に、今しばらく関わりたいと思っておりますので、今後とも、何卒よろしくお願い申し上げます


畠瀬 稔 氏

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平成22年度 第20回 学会賞

乾 吉佑 氏
学会賞をいただいて


東北大学で開催されました第29回大会(平成22年9月5日)で学会賞を頂きました。このような栄誉を賜りましたことに、学会役員及び会員の皆様に感謝と御礼を申し上げます。
学会賞を頂きましたことは、たいへん光栄であると共に、改めて身を引き締めて精進せよと背中を押される思いも致しました。といいますのも、この心理臨床の世界は周知のように広大で深遠だからです。学問の進展にとどまらず、その認識が社会や関係する専門職の皆さんに認められ、かつ個々の人々の支援に真に役に立たねばならない課題を心理臨床は要請されています。大変むずかしい課題ですが、私たち心理臨床家がこころの世界に歩を進めるためには必然の課題と思います。
この度の受賞理由、1.心理臨床における力動的理解を広めたこと。2.精力的な研究発表を継続されたこと。3.教育において指導的な役割を果たされたこと。4.学会理事として初期から7期まで貢献された功績 の4点は、多くの同僚やクライエントの力をお借りして、私なりに心理臨床をわずかばかり掘り広げた試みです。
確かにこの4点に私の40年間の心理臨床家としての歴史が集約されています。前半は精神科医療における精神分析の実践応用に傾注していました。後半は臨床心理学の先達のお陰で心理臨床の世界に目が開かれ深くかつ広いことを知りました。そして臨床実践・研究・教育の3本柱が臨床心理士の技量を含む質的深化向上を促進してゆく手立てだと教えられ、それを同上の4点として繰り返し実践してまいりました。この学びの過程で、この度学会賞を頂くことになりましたことは私にとって望外の喜びです。
これからは心理臨床家としての残り与えられた時間を、この3本柱をさらに進めるべく心理臨床ひとすじに邁進してまいりたいと考えています。
私を支えていただきました皆さまありがとうございます。


平木 典子 氏
学会賞をいただいて
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学会賞の楯には、「家族療法およびアサーションに関する我が国における第一人者として心理療法における理論と技法を統合する研究に努力された。また、後進の指導にも長年の努力を傾けられた功績。」と書かれています。私の活動の中で、家族療法、アサーション・トレーニング、そして心理療法理論・技法の統合が注目され、学会賞をいただくことになったことをこの上ない光栄に思います。
1960年代、北米におけるカウンセリング教育の中心地ミネソタ大学大学院における特性因子理論に基づくキャリア支援を中核としたカウンセリング訓練は、「クライエントの生涯(キャリア)発達のどこで、何を支援するか」を明確にした臨床と教育の意味、その理念に基づいた臨床家の揺るぎない立ち位置(支援の方向性)の必要性を示したものでした。
それは、1970年代の大学紛争の影響を受けた無気力な学生と人格障害(当時は神経症と精神病の境界的症状と認識されていた)の青年の自立に関わる家族への関心へとつながり、心理内、対人間の両力動に関わりうるアプローチである家族/システム療法は、今やIPI(統合的心理療法研究所)における統合的実践・研究の試みを背景にした私の臨床実践と臨床心理士の教育・訓練の基盤となっています。一方、青年期臨床、とりわけ病理と心理があいまいな学生のニーズと、青年期特有の対人関係の悩みに広く応えようとした試みがアサーション・トレーニングの開発です。臨床心理士の活動には、心理的発達とメンタルヘルスの維持・予防を視野に入れた心理教育が含まれる必要があるでしょう。
個人療法と家族療法の統合、心理的支援と教育的支援の統合、そして心理療法の理論・技法の統合は、生涯を通じて私の実践・研究のテーマであり続けると思われます。学会賞は、学会の片隅で、クライエントのニーズに応えようとしてきた私のささやかな試みに大きな励ましとなりました。ありがとうございました。

平成21年度 第19回 学会賞

岡堂 哲雄 氏
心理臨床半世紀を振り返って

第19回学会賞をいただき、感謝です。昭和30(1955)年に心理臨床のワールドに入り、半世紀が過ぎました。昭和42(1967)年に出版した「基礎臨床心理学(萩書房)」が臨床心理査定と臨床心理面接を基本とする本邦初の臨床心理学テキストと認められました。当時、臨床心理学を開講する大学が増えてきておりましたが、臨床心理学という名の本は精神障害の解説書で、いわば異常心理学のテキストでした。それに挑戦した次第です。
同年に世に問うたもう一冊の本「家族関係の臨床心理(新書館)」には、昭和40(1965)年に家裁調査官実務研究費により東京家裁で施設収容歴のある重度の非行少年8事例に対して行った本邦発の家族集団療法のマニュアルを収録しました。1980年代になり急速に展開しましたが、家族療法のそれまでの歩みは遅々としたものでした。1984年に同志と共に、日本家族心理学会を創設。1990年には、京都で国際家族心理学会がスタートし、初代会長としての 4年間は、世界各国の心理学会に参加を呼び掛けるなど、努力しました。20年目の今年の 5月に、米国アトランタの郊外で第 6回大会が開かれます。
ムックといわれる月刊「現代のエスプリ」誌について、その第97号(1975年)特集:『知能~その開発と限界』を担当して以来、第500 号(2009年)特集:『心理臨床フロンティア~倫理の再構築に向けて』まで、本誌・別冊を含めて49冊の企画・編集を担当いたしました。月刊誌では各冊16篇の論文が掲載されますので、実に多くの臨床心理学研究者、臨床心理士の方々に執筆をご依頼し、快く引き受けてくださいました。執筆者、講読者の皆様方のご協力とご支援により、これだけの仕事をさせて頂きました。学会賞の受賞に際し、あらためて厚く御礼申し上げます。


高橋 雅春 氏
学会賞をいただいて

このたびは名誉ある学会賞をいただき、身に余る光栄です。私が心理臨床の道を歩み出し、最初に出会ったのは非行少年であり、今から60年前のことでした。当時のわが国では、臨床心理学は心理学の範疇に入らず、私はよく「臨床心理学が心理学ならば、トンボ・チョウチョも鳥のうちというところやな」と言っていたものです。それが今や臨床心理学こそ心理学だという時代となり、本学会の会員数は2万2千人を超え、今昔の感にたえません。私の臨床の場も、精神科病院・大学・児童相談所と広がっていきました。
これまで私は、ほかの人々を悩ませたり自分自身について悩むさまざまな人と、数多く出会ってきました。その時、思ったのは、人は、自分の心の状態に漠然と気づくだけであったり、全く気づいていなかったりすることでした。また時には、気づいている心の状態を、あえて話そうとしない人も見られました。
このようないわば「隠された心」を理解するのは、以前は主に精神科医が行う名人芸的な面接でした。しかし臨床心理学という限り、アート的な面接だけではなく、客観的根拠に基づくサイエンス的な理解が必要だと思った私は、さまざまな心理テストを実施し、投映法とくにロールシャッハ・テストや描画テストに関心を抱き用いてきました。投映法は臨床的直観といえるアート的解釈を欠かせませんが、一定の訓練を受けた臨床心理士なら誰もが、同じ水準までは同じ理解ができるように、サイエンスとしてのデータを積み重ねてきました。投映法について、欧米とは文化の異なるわが国の反応様式を明らかにすることで、わが国の文化に合致した実施法と解釈基準をもつツールにしたいと、さまざまな研究を行ってきました。
今回の名誉ある学会賞は、心理臨床の草分けとして、その小道を切り開きながら歩んできた、わが国の第一世代のひとりの、ささやかな努力を認めてくださったものと、本当にありがたく、感謝の言葉もありません

平成20年度 第18回 学会賞

東山 紘久 氏
学会賞を受賞して

このたび名誉ある賞を授与していただき、身にあまる光栄と感激しています。私には直接ご指導を受けた3人の師匠がいます。心理療法の哲学を教えていただいたカール・ロジャース先生、深層心理の働きをと事例の重みを指導していただいた河合隼雄先生、宗教と人格の大切さを感じさせていただいた吉本伊信先生です。今は3人の先生とも鬼籍に入られましたが、3人の先生の人間的なご指導がなければ、現在の私は存在しないと思います。3人の先生は3人とも自分の考えを強制されることがありませんでした。私自身の特性を伸ばし、私自身であることを大事にしていただきました。そして、聞く態度と理解する態度でいつも接していただきました。改めて3人の先生に感謝いたします。
30年も前のことになりますが、ベッテルハイム先生ご夫妻が来日された時、京都と大阪をご案内する役割をおおせつかり、先生が講演されるときにいつもご一緒する機会に恵まれました。そのときの講演で先生は、初心のセラピストは理論も実践も自分の学んだ学派によって違いがあるが、10年の経験をすると理論は違っているが実践の違いは少なくなり、20年経つと理論はやはり異なるが、実践での区別は明瞭でなくなる、と話されました。これは心理療法の実践が、理論をクライエントに当てはめるのではなく、クライエントの理解に理論的背景を援用し、実践自体はクライエント中心になるからです。クライエントを中心に据えなければ心理療法が成り立たないためです。セラピストの人格を高め、器を大きくしないことには、クライエント中心の実践はできないということです。私はまだまだ未熟ですが、これからも先生の教えを胸に精進していきたいと思います。最後になりましたが、私に心理療法の手ほどきを懇切丁寧にしていただきました畠瀬稔先生、仲間として常に一緒に歩んできた氏原寛さんと故一瀬雅央さんに感謝します。

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